2017/06
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ほぼ一ヶ月ぶりです。福島原発視察報告
ほぼ一ヶ月ぶりです。

議会、常任委員会傍聴、市原での広報づくり、討論原稿書き、美浜ネットでの政治カフェのゲストスピーカー、市民体育祭、障害者スポーツ大会、市民ネットのワンディワークショップ&保坂展人さん講演会、市原で行われた「残土条例制定を求める集会」等々・・・目白押しの日程です。

10月18日は、議会閉会日。私は、発議案に対する討論。

そして、19日~20日は、資源エネルギー問題懇話会の議員団の県外視察で、福島原発内部の見学会に参加しました。
議員団は総勢31名。

19日は、身分証明の免許証を携帯し、福島第一原発の敷地内へ。
残念ながら写真は一切禁止。場内を車中から見学。
東京ドーム約75個分の広い敷地。
事故当時、場内にいた車500台?(800台?)は、前のバンパー部分に、持ち出し禁止のステッカーが貼られ、
それらの車が中の移動に使われている。
ガソリンスタンドも場内に作られている。

1号機~3号機は事故当時稼働中で、津波・地震の被害をモロに受けて、電源喪失。
その後の事態は、私たちも嫌というほどテレビ等で見ている。
メルトダウンした格納容器内の状況は、未だに誰にもわからない。
(宇宙船で使われるカメラでも、内部の様子は薄ぼんやりとしか見えない、鮮明に捉えられないのだという)
車が、1号機から、2号機、そして、3号機の前を通ったとき、みるみる検知器の数字が上がった。
160マイクロシーベルト、190マイクロシーベルト、248マイクロシーベルト・・・車中の検知器で測っていた人が、「振り切れた!」と呟いている。

事故前は、一面の芝が貼られていた構内の斜面や空間は、一面、モルタルが吹付けられている。
これで100マイクロシーベルト放射能の値が下がるのだという。

地下水が、150㎥/日、建屋内に流入し、放射能で汚染される事態が続いている。
セシウム、ストロンチウム、など62核種は、吸着装置等で除去できるようになったが、
未だにトリチウムが、除去できない。
そのため、トリチウムを含んだままの汚染水の貯蔵タンクが並ぶ(685,018㎥/9月22日現在)。

ここでは、毎日、過酷な作業現場で6000人の人が働いている。
車中から見るだけで、辛い気持ちになる。

20日は、第二原発を視察。
第二は、東京ドーム32個分の広さ。(フクイチの約半分の広さ)

福島第二原発も、地震で福島変電所の一部が損傷し、外部電源が一部停止したが、
送電線4回線のうち1回線が受電を継続していた。
海水で冷やすためにも、とにかく電源がなければ話にならない。
そこで、通常なら1ヶ月かかる仮設電源を布設するために、総動員体制で、
なんと30時間で総延長9キロメートルの仮設ケーブルを設置。
余震はひっきりなし、第一原発はやられている(情報も来ない)、ろくな灯りもない、構内は泥だらけ・・・
そんな中で、なんと人というものはすごいことを成し遂げてしまうものなのだろうと、絶句。

「逃げようとは思いませんでしたか?」
「いや、トップの指令が適切で、とにかく自分の持分を果たさねば・・ということで必死で、
逃げることなど考えていませんでした」

3号機のタービン建屋、原子炉建屋に入らせてもらう。

厳重な幾重ものチェック。
裸足になり、靴下を履く、手袋をして、その上からビニールの手袋、ヘルメット、服の上からオーバーオールを着る。
そして、原子炉建屋に入るときには、さらに、靴を履く。

福一ではメルトダウンして底が抜けている原子炉の格納容器の釜の底。
「同じ構造だと思ってください」という説明を聞きながら、格納容器を見上げる。
紐がたくさんぶら下がっている。

足元は、鉄パイプのすのこ。その下にセメント床が透けて見える。
「第一では、あのセメントが溶けて、おそらそこに溶けた燃料棒などの塊があると思います。
だれも見たことがないのでわかりませんが・・・」

原発の内部は、最先端のピカピカの超高性能な工場現場のような感じかと思いきや、
むき出しの機器の数々や、ほの暗い場内を見て、一昔前の工場内部のようであり、ひたすら圧迫感を感じた。

私たちは、チェック、防備、その他が約1時間、場内にいたのは約1時間の視察だったが、心底、疲れた・・・。

もとより福島第二では、福島第一のような高濃度の放射能は出ていないのだろうが、
「板子一枚下は地獄」という言葉を繰り返し思い出しながら薄暗い中を歩いた。

働く人の精神的なストレスは大変なものだと、改めて体感した・・・。

事故後の対応に腹の立つことの多い東電だが、それは、お偉いさんの問題で、
そこでなんとか復旧に向けて働いている現場の人たちには、ひたすら頭が下がる。
働く人の命を守れる労働環境整備にむけて声を上げていきたい。

福島第一は今後、復旧に30年から40年と言われているが、それは、そうであってほしいという願望でしかない。
未だにメルトダウンした炉の内部さえ見ることができないのら、今後、どれだけ後始末に時間と人手がかかるかわからない。

そして、現場労働者の被爆を考えれば、いつまで、毎日6000人の人を投入できるのかもわからない。
ホントに危険な現場に、なかなか仕事が見つけられない最底辺の人や、外国人労働者を注ぎ込むようなことも許してはならない。
ましてや、原発再稼働など、とんでもない、と言わざるを得ない。

福島第二原発も、海側(南側)は、津波、地震被害の跡が、今もいたるところにそのまま残っていた。
「第二原発は再稼働させてもいいんじゃないか」などという寝ぼけた考えを口にする政治家やお偉いさんは、断じて許せない。

しかし、両日とも、丁寧に、率直に対応してくださった担当者の方々には、心から感謝している。

貴重な機会を頂いたこと、そして真摯な対応をしていただいたことに感謝し、くれぐれも健康に留意して働いて欲しいと願わずにいられない。
プロフィール

ichiharatomoko

Author:ichiharatomoko
     
1948年石川県生まれ
早稲田大学卒業
市原市議2期を経て千葉県議(2期目)
市民ネットワーク千葉県共同代表

子ども3人は独立し夫と2人暮らし、ネコ1匹
趣味は絵を描くこと、俳句、散歩、読書

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