2017/08
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会津若松仮設住宅
帰宅後、連日出かけることが多く、ようやく3日目の報告です。
2日目の宿泊は、会津若松だったので、南相馬視察のあとは、浪江町を通って、会津若松へ向かいました。

道中の浪江町の寂しい光景は忘れられません。
ガイドさんが、「ここは昼に通ると、家が建っている普通の町に見えますが、立入禁止区域で、夜に通ると人家はあるのに真っ暗で、とても怖いです。」と話されました。

確かに、地震被害はそれほどでもないのですが、家は荒れ、壊れたところはそのまま。
人が強制的に町から排除された町並みは、ゴーストタウンと化しており、凄まじい光景です。

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3日目は、会津若松市扇町1号公園内にある応急仮設住宅で、お話を聞きました。
ここには、大熊町から避難してこられた82世帯の方の住宅があります。
当初は、80世帯が住んでいましたが、現在は60世帯の方が入居しています。
大熊仮設住宅
集会場の入口です。
仮説入口
お話を伺ったのは、現在この仮設住宅住民の自治会長をしておられる塚本英一さん(73才)と、大河原2地区の区長さんの馬淵和年さん(68才)です。
仮設住宅2

ご挨拶をする県議の吉本幹事長と仮設住宅の塚本自治会長さんと馬淵区長さん
3大熊仮設

震災直後、どのように避難し、現在にいたっているののお話を聞きました。
「本来ならば、今は田植えの時期で、忙しいのですが・・・」

震災直後、1軒1軒、安否確認をした。電気はなく、真っ暗だったが、崩壊した家はなく、3軒が傾いていたが、けが人もなく、とりあえず、ほっとした。

その後は、余震も続き、家を出たり入ったり。翌12日12時ころに「第一原発が危ない。避難しろ」という報せが消防分団長に入った(無線を持ってる)ので、二人で手分けして各家をまわり、8時に集まるように指示。
近くの神社に100世帯(約300人)の半分以上が集まり、8時半にスクールバスで老人と子供、車のある人はその後ろを付いてくる、ということで第1陣が出発した。30分後にようやく、2代目のバスが来て、残った人が乗り込んだ。

政府からの連絡は3時ころにあったのだが我々に届いたのは10時間後。
田村市の宮古島へ向かう。各町からのバスで288号線は渋滞で動かない。
ようやく目的地へついたけれど、そこはいっぱいで、常盤町へ。

そこもいっぱいで、やっと3時に三春町へ、今は廃校となっている春山小学校へ着いたが、200人の人で体育館はいっぱい。
なんとか頼みこんで、2階の教室へ。

着の身着のまま出てきたので、金もない、衣類もない、寒くて、食料もなく、夜の10時にようやく炊き出しのおにぎりがひとつ。寒さが厳しいが、毛布は二人に一枚。
「どうやら、原発が爆発したみたいだ」という話が、避難民の間で飛び交って、真っ暗な気持ちになった。一晩位の気持ちでいたのに、結局1ヶ月、とどまることになった。
しかし、宮古島の人が来るので、出てくださいと言われて、その後は大隈町の住民は、バラバラになった。
会津から喜多方の裏磐梯ホテルへ。ここに350人の大隈町の人が避難。

お風呂はあるし、することはないし、放埒な暮らしをする人も出てきた。
そこでホテルで自治組織を立ち上げ、要請されて会長に塚本さんが就任。
副会長は女性になってもらった。学校の事務長さんがいたので、会計・書記をたのみ、規約などを作る。
入浴時間は4時^10時までとする。朝ごはんは7時。
エレベーター、エスカレーターは使わない。
酒はだめ。騒ぐ人には出て行ってもらった。

こうして3ヶ月ホテルで過ごしたあと、7月19日に仮設住宅に入り、今や3年目。
ここには、大熊町の3地区の住民が入っているが、町の中で、大河原地区が、唯一除染が終わったので、さてどうするか、問題となっている。
除染が終わったとは言え、地権者の権利の問題、保障をどうするかなど、もめ事はつきない。

では、除染できない地区は、国が買い上げる?それとも貸す?町民同意も今後の課題。

この仮設住宅では、コミニュケーションは取れていると思っている。ラジオ体操を行い、それに出てこない人には声をかけるので、孤独死はない。
女性は、サロンやコーラスなどをはじめ、プランターでの花栽培も始めた。

今後が問題。
とにかく、仮設でなく「復興住宅」を早く建設して欲しい。
とりあえず除染も済み、放射能の値が最も低いところに、3000人規模の拠点となる町を再建したい。 

従来の住民が帰還するというよりは、原発収束のためのトラックや車で渋滞が激しいので、除染の終わったところに、飯場(はんば)のようなアパートを建てればどうか、という計画もある。

先祖代々住んできた住民の中には、本音のところでは、もう帰れない、と思っている人も多い。

今の田畑や山の状況は?

田んぼは、10センチを剥いで、袋に入れ、隔離している。
しかし、肥沃な土を剥いで、ただの山土を入れても、田んぼとしては、機能しない。

山は、道路から20mという基準で剥ぐ。
しかし、山の中の表土は剥げない。除染しても、汚染度は20%しか下がらない。

山へ入るときは、放射能測定器を身につけていくが、2.5μシーベルトで音が鳴るようになっていて、木の下へ行くと鳴り出す。

表土を剥いだところは鳴らないが、果たしてそれで森として機能するのか。

帰還したいと願う住民にとっても、社会的なインフラがないと、自分たちだけ帰っても町として機能しない。
     などなど・・・悩みは尽きない。

仕事は?
会津で仕事を探すのは難しいので結局、除染、原発の仕事に行っている。
会津で働いても時給800円~1000円だが、原発関連だと、1日2万円になる。
ピンハネもあるとは思うが、それでも、働く。

馬淵区長は、個人的には、原発は全てやめてほしい。帰還を希望するのはいいが、若い人に帰れというのは、無理だと思っている、とおっしゃっていました。

一方、自治会長さんの方は、40年間ずっと福島原発で仕事をしてきた。でも、この年まで、なんでもなく元気で生きている。いたずらに、放射能の怖さをいうのは、いかがなものかと思っている、と主張。

お二人は、こうして並んで話していても、別の見解を持っておられる。

まして、それぞれの家庭の事情を抱えて、どれほど、みなさんが考え苦しんでおられることか、、想像を絶する。

区長さんは、帰らない人にはそれなりの援助。帰りたい人にもそれなりの援助を求めたい。
若い人たちは、働きに行っているとにかく、千差万別の意見を持った人がこの仮設住宅にもいる。だから、我々世代がそんな意見を聞きながら、今後やっていきたい。

メモをずらずら書いただけで、読みづらいと思いますが、おふたりのホントに誠実で、しっかりした自治会長さん、区長さんに頭が下がります。ありがとうございました。

壁に貼ってあった青少年赤十字の激励の寄せ書きです。
仮設壁の展示

2泊3日の内容の濃い視察で、多くのことを学びました。
道中案内してくださった皆様、企画してくださった会長、幹事長に感謝します。
プロフィール

ichiharatomoko

Author:ichiharatomoko
     
1948年石川県生まれ
早稲田大学卒業
市原市議2期を経て千葉県議(2期目)
市民ネットワーク千葉県共同代表

子ども3人は独立し夫と2人暮らし、ネコ1匹
趣味は絵を描くこと、俳句、散歩、読書

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