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津波・地震対策宮城・福島視察
5月11日~13日まで、津波・地震対策議員連盟総勢21人(超党派)で東北被災地視察に行ってきました。

わが会派は全員参加。
会長は本清秀雄議員、幹事長は吉本満議員。
たくさんの人の力で実現した、忘れられない内容の濃い視察に感謝します。

11日 (視察)
石巻漁港ーー大川小学校ーー南三陸防災対策庁者
8;40東京発~ 仙台に10:15着。
仙台でバスに乗り込み、3日間案内してくださったのは、塩釜市民ボランティアセンター(希望)の代表、會澤純一郎さん。
最後の3日目の写真ですが、紹介のため、冒頭に載せます。
会派4人と一緒にカメラに入ってもらいました。
會澤さんと会派4人

この人何者?と思うほど、多岐に当たる知識と行動力の人です。同団体は、岩手県内の100か所以上の仮設住宅でボランティアをしています。様々な支援の輪は、岩手、宮城、青森に及びます。福島への支援は、原発事故との絡みがあるので、希望者を限って行っているとのこと。

いきなり、内容の濃い大量の資料をいただきました。
宮城県の被災地首長(15市町村)の主要な復興報告、東日本大震災2014年3月現在の課題と問題点、全体地図など、課題が浮き彫りになっています。

會澤さんのお話は、まず、八街選出の山本義一議員とのご縁の話から始まりました。

山本義一議員は、八街市と宮城を結び、これまで、野菜を始めとする食糧支援、その他のボランティアの派遣や受け入れなど、誠実に丁寧に行ってこられたのだそうです。

また、公明党の阿部議員は、多感な高校時代まで、石巻で過ごされました。
お身内も、同地に住んでおられ、震災時には大変な目にあわれたとのこと。
そんな阿部さんからも、遠慮がちにたくさんのお話を聞くことができました。

きっと言葉にできないもっともっとたくさんのことがあったと思います。

會澤さんの冒頭の文章と言葉は、「3・11を忘れないで」を合言葉に、視察する人へのメッセージから始まります。

・現地をよく見る→全体と細部をよく見る観察力。
・感じる→全身の感性を傾注して感じる
・聞く→被災者には、丁寧な心で声をかける
・考える→現地に立った瞬間から、真の復興が終わるまで考え続ける。自らの生き方の発見のつもりで考える。

被災地から、産業・政治・人権の成熟度・文化・市民社会・地方分権・・・など日本のすべて、世界のすべてが見える。
資料を読み込むと、なるほどそうだな、と納得します。

まず、石巻漁港の石巻魚市場株式会社へ。
石巻魚市場

ここでも、びっくりするほどパワフルな人に会いました。
石巻市水産物地方卸売市場「石巻魚市場株式会社」の社長さんの須能(すのう)邦夫さんです。
須能社長

大きな声でてきぱき怒涛の説明。
あっけにとられて説明を聞く面々。私も神妙に話を聞いています。
須能社長の説明
魚市場で説明を聞く全員

須能さん自身は、たまたま震災の折にも命拾いし、奥さんも県外の娘さんのところへ行っていて無事、会社も上階は、無事。停電でランプの明かりのもとで、地球がひっくり返ったような状況の中、仕事をされたそうです。

毎朝3時に起きて、仕事を始める須能さんの日常も驚きですが、そのお話の中で印象的だった言葉を拾います。

石巻は漁業のまち。水揚げ量は、銚子が一番で、石巻は2番ではないけど、3~4番というところ。

漁業、漁港、漁場、水産業、という言葉があるが、それぞれ、意味が違う。
あまりにあいまいに使われていて、一般の人は違いがよくわかっていなし。

「漁業」というのは、漁を獲ること。しかし水産業というのは「加工流通業」であって漁業ではない。

国の担当も、「漁業」は農林水産業であり、加工流通業は、中小企業庁の管轄になる。つまり6次産業ということ。
しかし、石巻でも漁業といった場合、売上2300億円だが、そのうち水産加工は18億でしかない。
今後水産加工の割合が増えていくべき。

震災でつくづく見えてしまったのは、これまでの経済は、マネー資本主義(惨事便乗型資本主義)であり、今後は「里山資本主義」を目指すべきだということ。

(地元で獲れた魚を地元で加工し、物流機能を充実させて販路に乗せ、地元に利益が還流するようにすべき。)
          ←これは山本の蛇足・補足。

震災後、待ったなしの状況にもかかわらず、国・県の対応がきわめてのろかった。

須能さんは、県をすっとばして、いきなり国と交渉。県行政や県議会の役割の曖昧さを遠慮なく突いてきます。
(お説ごもっともです)

休みなく地域の漁業の復活、地域の再生に関わってきて、わかったことは、
ほんとに困窮した地元では、この間ずっと「マラソン」をしてきた。

それに対して、役所は「駅伝」をしてきた、ということ。


マラソンは、一人の人の仕事が継続するが、駅伝は、途中人事異動で人が変わるとそのたびに、想いがどんどん薄れていく。

悲しいし、情けない。
役所は、前例主義、申告主義で、市民の立場に立っていない!

漁業権の問題。漁業権は千葉では、船についている。しかし、宮城では、個人についている。宮城県知事はその漁業権を企業に売っていいよ、というふうに制度を変えた。
桃浦では、牡蠣の産地だが、漁師は高齢化もあって、知事の主張に賛成。漁師は、今や労働者として給料をもらって働いている。

漁業特区は後継のいないようなところから始まっている。

漁港整備は、国・県・市町村・自主的取り組みに分かれる。
国は、拠点港を選び、そこに集中的に補助金をいれ、それ以外には、支援しない。
いわば、海の減反政策のようなもの。こんな国策に対しても、社長は、ガンガン、意見を言っていく。

(それがいいのか悪いのか・・・漁業の未来を考えるとき、賛否はある。
農業への法人・企業参入などとも、同根かもしれない。しかも、漁業の方が、より高齢化、後継者不足は深刻かもしれない。・・・・私のひとりごと)

その後、地元漁業にとって死活問題である放射能測定についての取り組みの状況を聞きました。
石巻魚市場説明1
まず、このラインを見てください。
全自動選別機
これは、魚をベルトコンベアーに乗せて、放射能の値が高ければ、自動的に100ベクレル以上ならは右へ、50~100ベクレルならば、左へ丸のまま選別して弾いて行く機械。1時間に1400尾測定、しかも精度がいい。
須能社長説明と聞く議員
東北大学生活環境早期復旧技術研究センターと共同開発したもので2013年8月末に設置。今後は、周辺から産出する青果物の検査にも活用していくという。

「石巻は、安全な魚しか出していない、ということを証明していかなければならない」というのが、須能社長の強い思い。他の漁港でも取り入れるところが出てきているという。

お隣のラインは箱ごと検査する機械です。

そうは言っても、従来の非破壊式放射能検査機も別室に1台あります。
非破壊検査機

前回も訪れた「がんばろう石巻」には、こいのぼりがはためいていました。(バスで通過)
頑張ろう石巻
高台移転するか、何もなくなった市街地をどうするか、街づくりのイメージが、いまだできないそうです。

お昼は、石巻日和山公園脇にある「蛇の目寿司」へ。
日和山という名称は、漁師が、小高い丘に登ってその日の海の様子を見るために、どこでも「日和を見る」ということで、日和山といいます。
このお店も、震災で本店はだめになり、一時の仮の店だったそうですが、その後、本店が復活したあとも{日和山店」として営業しているのだそうです。美味しいお寿司、ありがとうございました。

午後は、大川小学校へ。
向かう途中の道路や河川では、地震、津波で、地盤沈下しています。平均1mくらいの沈下。
そのため、このあたりは、嵩上げする前は、大潮の時は、年中溢れていたそうです。
地盤沈下は、場所によっては、1.5mのところも。
大川小へ地盤沈下

津波には3種類あります。
1 石巻などを襲った巨大なパワーのある津波。時速36km(原付バイクくらいの速さ)
  7mの津波、と言われても、同じ津波が、場所によって30mを超えることもある。
2 パワーは比較的よわいけれど、じわじわ増水、一面水の底にしてしまう津波
3 川津波・・・大川小学校もその一例。多賀城市では、海とは反対側からの波が襲った。
  また、海から遠く離れているので、まさか、こんなところまでという油断が大きな事故につながった。
  今回は、海から50km離れたところまで、波が上っている。

ここは、大川小学校の子どもたちが、避難の際の集合場所と言われていた三角花壇。
大川小参画花壇

大川小学校。南三陸の新北上川河口にあります。
大川小学校1

ここでは、74名が亡くなりました。教員は12名、そのうち10名が死亡しています。
大川小前

なぜ、この裏山へ避難させられなかったのか・・・。
日常的に、高学年はこの裏山でしいたけ栽培をしていたとのこと。
どう見ても、すぐ登れそう・・・。
登れたはずの山

保護者が、教師たちの対応に納得できず、裁判を起こしています。
なぜ、これほどまで対応が遅れて、大きな犠牲を出したのか。

空白の52分・・・その間に津波避難の広報車が2回も巡回しています。

Aという教師が一人、地震のあと、よく理解できない行動をして、自らは助かりました。
なぜ?Aさんは助かって、子供たちは犠牲になったの?
という保護者の怒りが、新聞を読んだだけではわからないけど、この場所に立つと、その保護者の気持ちがよくわかります。

すでに3年が経過し、がれき、遺体、その他の遺品等も相当回収されて、あたりは、渺々とガランとしています。
津波は、コンクリートの壁も柱も押し流しました。
壊れた校舎
ひしゃげた校舎

でも、そこに子どもたちが作った小さな土鈴が見つかり、並べられていました。
土鈴の裏には、可愛い文字が書き込まれています。
子どもの作品土鈴

作品を見て、そこに刻まれた文字を見て、胸が熱くなり、声もなく、立ちすくみました。

一同、ここで献花と祈りを捧げました。

****海岸沿いをバスで走ると、時折、碑が立っています。
三陸地方では、古来、頻繁に津波に襲われてきたので、その備えが古老から言い伝えられてきたところでは、いちはやく避難ができたようです。

これは、「地震があったら津波の用心」の文字が刻まれた碑。
地震があったら津波

車中から撮した石巻日赤病院。震災拠点病院として、その横に新たな拡張工事中でした。
石巻日赤病院

3・11後の目覚しい活動は、「石巻日赤病院100日の戦い」?(不正確なタイトルですみません)という本にもなっているそうです。

そして、南三陸町防災対策庁舎の現場へ。
1防災対策庁舎

43人の市の職員が働いていたが、助かったのは10名のみ。
遠藤みさきさんが、最後まで市民に危険をアナウンスし続けて、逃げ遅れて命を落としたことは、日本人すべての記憶に焼き付いています。

・・・こんな高いところにまで水が渦を巻いて押し寄せ、てっぺんのレーダー塔にしがみついて二人が助かったなんて、奇跡としか思えません。
てっぺんに二人助かった

ここでもお線香をあげ、献花。
(お花を準備してくださった幹事長さんたち、ありがとうございます)

南三陸のあたりも、1mほど地盤が沈下して、このあたりも大潮になると、低い堤防は超えてしまうそうです。
津波が引いた後も、海は内陸に入り込み、地図そのものが変わってしまいました。

その後、周辺の人達と、志津川仮設住宅の人たちのための、さんさん商店街へ。
仮設住宅の人たちのための仮設店舗が並んでいる。いまだ商店街が再建できていないことに、胸が痛みます。
さんさん商店街
さんさん商店街2

中で「ほや」を買う人、お土産を買う人。私は、「油ふ」を買いました。レシピももらいました。

これは、オクトパス(たこ)のおせんべい。
「置くとパスする」というダジャレグッズで受験生に売れているそうです。
オクトパスせんべい

宿泊先の石巻へ帰る道すがら、震災以前と震災後の石巻の航空写真を見比べる本を買いました。ほとんどの参加者が買い求めて車中で見入っていました。

宿泊先は石巻グランドホテル。

続きは、あした、また書きます。
プロフィール

ichiharatomoko

Author:ichiharatomoko
     
1948年石川県生まれ
早稲田大学卒業
市原市議2期を経て千葉県議(2期目)
市民ネットワーク千葉県共同代表

子ども3人は独立し夫と2人暮らし、ネコ1匹
趣味は絵を描くこと、俳句、散歩、読書

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