2017/10
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沖縄4日目
いよいよ沖縄視察最終日。
まずは、読谷村字波平の集落から西へ500mほどのところにあるチビチリガマへ。
ここから階段を下ります。
ちびちりガマ

案内してくださるのは知花昌一(ちばなしょういち)さん。
一同並んでお話を聞きます。知花さんは、元読谷村市議会議員で、数々の武勇伝のある議員でした。今も闘士。
ちびちりがま2
ちびちりがま3

選後、1983年まで38年間、村の人たちはだれも、このチビチリガマの惨劇について語りませんでした。
誰もが、あまりに深い傷を負っていたからです。

サンゴ礁が隆起して出来た沖縄の島々には、鍾乳洞がたくさんあります。地元では、そこは「ガマ」と呼ばれています。

戦争末期、いよいよ本土決戦もやむなし、という状況になった時、日本軍と日本政府は、天皇のいる本土への米兵の上陸を一日でも先に伸ばそうとして、沖縄をその犠牲にしました。

海上で米兵を迎え撃つのでなく、米兵の上陸を許し、できるだけ引きつけて銃撃戦に持ち込もうとしたのです。

その結果、沖縄各地は、日本で唯一、地上戦の舞台となりました。
アメリカは、11万発の銃弾を打ちながら上陸。

沖縄の非戦闘員、村人のおびただしい血が流されました。

米兵が波平地区の浜から上陸するという話がいち早く村を駆け巡った頃、
兵隊に取られていない村人のうち、
身体が丈夫な人は、北部のヤンバルへ逃げ、

逃げることができない年寄りや妊婦、幼い子供たちを抱えた女性たちは、それぞれ近くのガマに隠れました。

鬼畜米英は
日本人を捕まえると、男たちは銃殺され、女たちは強姦、銃殺される、と誰もが信じていました。

生きて辱めをうけるより、自決すべし、と誰もが、教えられていました。

そして、ここチビチリガマに隠れた140人のうち、なんと83人(その後の調査で85人)(そのうち12歳以下は42名)が、集団自決という痛ましい最期を迎えました。

愛するがゆえに、親が子を殺す、兄弟姉妹が互いに、ろくな武器もない状況のまま殺し合い、死にきれない人たちのうめきが満ち満ちていた洞窟です。

今も人骨が、生々しく残っています。

ここでは、誰もが、自ら死を選んだわけではありません。まして、幼い赤子や子どもたちは、自ら死を選んだわけではありません。

だから「集団自決」ではなく、「集団強制死」である、と知花さんは絞り出すように訴えます。

これは、ガマのそばにある平和の塔です。しかし、この平和を祈念する祠も一度壊され、再建されました。
DSCN5290.jpg

同じ波平地区でも、シムクガマでは、1000人の人が隠れていましたが、だれも死亡者は出ていません。
写真は、シムクガマです。
DSCN5299.jpg
DSCN5300.jpg

なぜ?一方では、凄惨な殺戮が行われ、他方では一人も死亡者が出なかったのか?

それは、チビチリガマでは、中国などへ同行した元従軍看護婦だった女性が、リーダー的な存在となり、ガマに中の人たちに「米兵に捕まれば、殺戮、強姦される」と伝えたためです。

一方、シムクガマでは、ハワイ帰りの二人の日本人が、米兵はそんなひどいことはしない、安心して投降しようと呼びかけました。はじめは二人を信じていなかった村人も、先にガマを出た人たちが、手厚く保護されたことを見て
次々に、洞窟から出て、助かったのです。

どんなリーダーにめぐり合ったか、それが生死を分けました。

たまたま生き残り、助かった人も、身内を殺めてしまった人も、深い深い心の闇を抱えて生きてこられたのだと思うと、キリキリ胸が痛みます。

沖縄では、3人にひとりが、家族の誰かを戦争で命を奪われているそうです。
だれもが、深い闇と強烈な痛みを共有していることになります。

その後、座喜味城(ざきみじょう)跡を見学し、陶芸家の活動拠点「やちむんの里」を経由し、昼食。
ソーキそばを食べました。

午後は佐喜眞(さきま)美術館を見学。
1座喜味美術館
この美術館は、一日目にお会いした真喜志好一さんが設計した建物です。
沖縄をこよなく愛する真喜志さんらしい沖縄の風土にあった美術館です。

芝生を張った前庭に面して、円柱が並ぶ回廊のようなものがあり、庭の奥には、この美術館を真喜志さんに依頼し創設した佐喜眞道夫氏館長の代々のご先祖が眠る亀甲墓があります。
ざきみ亀甲墓
この日は、座喜味道夫館長に館内の作品について解説、ご案内していただきました。

館内奥には、壁面いっぱいの丸木位里、利夫夫妻の「沖縄戦の図」が迎えてくれます。
ガマでの惨状、ピカソのゲルニカのような迫力です。

鮮血、虐殺、互いに殺し合う兄弟姉妹、などなど・・戦争のむごたらしさが壁一面に描かれます。

それでも、そこに澄んだ強い眼差しを持って未来を見すえる少年と少女の姿が描かれていて、救われます。

この絵を沖縄におきたいから美術館を建てたいという佐喜眞氏に対して、ここがいいだろうと、真喜志氏がアドバイスし、「美術館ならいいだろう」と、米軍が基地の隣接地に美術館を建てることを許可してくれたのだそうです。

庭に回って展望台にのぼります。展望台までの階段の先には、慰霊の6月23日を表現するために、階段の6段、23段に、穴があいています。

また展望台からは、6月23日の日の出の太陽が、ちょうどハマるような穴も空いています。
座喜味日の出
その展望台からは、普天間基地がよく見えます。
緑の緩衝地帯があるところとないところもよくわかります。

そこで行われていた4/9~6/8まで行われている刀根山光人展も、激しい情熱となんともチャーミングな筆致に魅せられる素晴らしい作品群でした。

美術館そのものの鑑賞、丸木位里、利夫夫妻の「沖縄戦の図」、その沖縄戦の図に負けない迫力の刀根山氏の作品、・・・と、なんとも贅沢な時間でした。

その後は、ちょうど良い飛行機便がなく、夜まで待って沖縄を出発。家についたら後は、バタンキューです。
プロフィール

ichiharatomoko

Author:ichiharatomoko
     
1948年石川県生まれ
早稲田大学卒業
市原市議2期を経て千葉県議(2期目)
市民ネットワーク千葉県共同代表

子ども3人は独立し夫と2人暮らし、ネコ1匹
趣味は絵を描くこと、俳句、散歩、読書

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