はるにれの里(その3)

ようやく、5月10日の分です。

朝から札幌市自閉症者自立支援センターゆいを訪問しました。
ゆいの前にて

ここは、札幌市ののぞみ学園(第一種医療型自閉症児施設)の子供たちが、大人になって次の暮らしの場がない事態をなんとかしたい、と親達が十数年にわたる運動によって平成17年11月1日、開設しました。

運営主体は「はるにれの里」、今は札幌市の指定管理制度で受託し運営しています。

ユニット形式の建家で、
1Fは、
施設入所 定員30名、短期入所 定員6名、生活介護(入所&通所系)定員45名

2Fは
札幌市自閉症・発達障害支援センター(相談業務)となっています。

しかし、それだけではなく、その他の機関支援事業(要請があれば、いつでも助っ人に駆けつけます)
地域移行支援事業(3年掛けて、外へ出す)も行なっています。

説明をしてくださったのは、支援センター施設長の眞鍋龍司さんをはじめとするスタッフのみなさん。

ここでも「さりゅう」と同様、基本は、有期限・有目的で、障害者がここを終のすみかとするのでなく、ここを出ていくことを目指す、と強調されていました。

そこで、ここでは、研修を含めて、人材養成も行なっています。
研修の動員は、年間3000人~4000人。
(本来は、公的機関の勤めだと思うのですが・・)



「ゆい」では、発達障害のある方たちのうち、重度の障害のある人のために1階を。

知的障害を伴わない人の相談業務に応ずるのが、2階の発達障害支援センターとなっています。

一般に自閉症の人は様々な刺激を取捨選択してコントロールする力が弱い、というのが障害の特質です。

例えば、私たちは、視野に入ったものすべてを見るのでなく、
見たいものにフォーカスして周辺はぼやかせて見ています。

しかし、自閉症の人の中には、見えるもの全て、同じ強さで目に入ってしまう人がいます。
これでは、情報が多過ぎるスーパーや駅などは、たまりません。
同じく、広すぎる施設も辛いかもしれません。

また、逆に見たいものしか目に入らず、周辺が見えないので、危険にさらされる人もいます。

聴覚についても同じです。

私たちの耳は、どんなにうるさい状況の中でも、聞きたい声だけを聞き分けることができますが、
性能の悪い補聴器のようにすべての音を耳が拾ってしまうとしたら、たまりません。
きっとうるさくて耐えられないと思います。
自閉症の人たちの中には、そんな過酷な状況に、四六時中、置かれている人もいます。

だから、障害の故に、過酷な環境にさらされている人に対して、
情報をコントロールしてあげる、
筋道たてて見通しを立てられるように環境を整えてあげる、
それが、はるにれの里二人たちが行なっていることです。
(ざっぱくで、すみません)

一般の施設では、多くの人たちが集団生活をしているので、
その刺激自体が、自閉症の人たちを苦しめます。
だからユニット式の施設は、比較的やさしい環境といえます。

それでも、所詮は施設、
なんとかケアホームで過ごさせてあげたい、
というのが職員の願いです。

親御さんは、その穏やかな暮らしぶりをビデオで見て、
障害が軽減したのだと勘違いする人がいますが、
そうではなく、本人の障害にあった環境が整ったということなので、
そこは勘違いしないように、と言われました。

現に、親御さんが尋ねると、興奮してマイナスになる事の方が多いそうです。
(子を案ずる親ごさんは、ショックを受けられるとか・・・でも一人暮らしができることを喜ばなくっちゃね。)

施設内を案内していただき、作業館も見せてもらいました。
作業館

作業する当事者の方。じゃがいもの皮むきをしています。とても丁寧に黙々と。
作業中の写真

ところで、これは何?
半分のコップ
実は、作業が終わったら、美味しいお茶の時間ですよ、というカード。
作業前に半分のコップを貼り、残り半分のコップを貼り付けると作業は終了、お茶の時間となります。

2階の発達支援センターです。
人刺激に弱い入所者のために、出入口を工夫して、苦手な人と鉢合わせしないような間取りに改造して、スライド式のドアがついています。

そのドアの前に立つ自閉症・発達支援センターの所長の加藤さん。
発達障害に特化するために、あえて、「自閉症・発達支援センター」という名称となっています。
プライバシー加藤さん

千葉県の強度行動障害のケアホームも、
はるにれの里に習って、
自閉症の方たちの地域移行に光がもたらされるよう願ってやみません。

本日は、午前中は、市原の福祉会の総会。
午後は、広域ガレキを考える学習会に出席しました。

はるにれの里視察(その2)

はるにれの里(その2)は、写真で説明していきます。

発達障害の方々にとって、一番辛いのは、何を要求されているのかわからないこと、だから段取りを付けて、それも言葉で指示を出すのでなく、視覚化してその順番を示してあげること。

まず、藤代さんが持っているカードを見てください。これは病院へ行ってすることの順番です。
藤代病院順番

座席にすわって待つ。
先生に呼ばれて診察を受ける。
診察を終わる。
また椅子に戻る。
など、行動の一つ一つクリアすると、そのカードをはがして別のボックスに入れます。
そうすることで、落ち着いて、次の行動に移れる、というわけです。

食事は、これ
スケジュール確認カード
コップ、箸、さら、などが貼り付けてあります。より具体的に何を持つか、段取りがわかります。

手を洗う場所の説明
手洗い場所の確認
コップ、箸などがセロテープで貼ってあります。
(コップの現物のほうがいい人、カードがいい人それぞれどちらでも対応できるよう、両方あります)
段取り通り、自分で行い、済んだら一枚一枚カードを戻します。
あくまで、自分で納得の上、行動できます。

こっちは手を洗う順番
手を洗う順序
自閉傾向の方は、
視覚情報がわっといっぺんに目に入って整理できない人が多いので、
段取りを一枚だけ示す(あとは情報を隠す)という手法のこともあります。
(ここでもあくまで個別対応)

落ち着いて食事を自分で出来るので、
通常ならグチャグチャにされそうな花(造花)はまったく視野に入らず、見向きもされず、今も綺麗なまま。
後ろの花は見向きもされず説明
私の後ろの花に注目してください。

また、本人が何が好きで関心を持つのか知るために、
複数のアイテムを準備します。
かぼちゃ、人参、とうもろこし、それぞれ現物のミニチュアとカードです。
一番先に手をだしたものが、本人の好物であり、好きな情報アクセス手法になります。
個別のカードと素材
好きな食べ物は何?カードの方が好き?現物の方が好き?
ここでも本人の傾向がつかめます。

また好きなものを選ばせる事も、大事。
自分で選択して次の行動に移す、という訓練になります。
しかし、幼い頃から、選ぶこと、自分の欲求が満たされることの体験がないので、
まずは、選択することも大切な訓練になります。

その時、ラーメンととんかつどっちが好き?では、どっちも好きなので選べないことになる。
(私たちだって、なかなかレストランで、食べたいものを決められないじゃないですか。)

そこで、好きなものと嫌いなもの、
ここでは納豆とラーメン、のどちらかを選んでもらいます。カードです。
ラーメン納豆カツ選ぶ

これは外出のドアに貼ってある靴やミニチュアの車。
外出カード
靴は、歩いていく場合。
白い車なら病院へ。
色つきの車は通常の外出。
そして、隠し球は、ゴールドの車。
美味しいスイーツが後であたるスペシャルディ用の車です。
説明して下さる中野さん
ドアのそばで中野さん

これは、お掃除の段取りの矢印。我が家にも必要かも。
掃除→

さて、これはなんでしょう。
トイレの神を切る
実は、トイレットペーパーをカットしているのです。
障害者の方は、どれだけ紙を使えばいいのかわからないので、その紙を必要な長さに揃えます。そしてトイレでは3回までこの紙を使う、というルール化をしてあるのだそうです。(この作業は障害者自身がおこないます)

あっけにとられ聞き惚れる視察の仲間たち。
トイレの紙の説明を聞く

そしてこれが、トイレの中。実際に3つの箱に切ったトイレットペーパーが並んでいます。
さすが!
トイレ現場3つの棚
時間延長してのお話ありがとうございました。

こうした取り組みがあって、障害者が施設外へ出ることができるのだな、と痛感しました。

最後に、強度行動障害に苦しんできたAさんの一本のビデオの紹介です。

A子さんは、見事に一人暮らしをしています。

淡々と規則正しく、起きて、着替えて、洗濯して、朝食をとって、外出する。
・・・また帰宅して、食事して、洗濯物をたたんで、歯磨きして寝る・・・・。

そんな当たり前の暮らしを世話人さんに支えられながら実現しています。

しかし、ちょっと不思議なのは、
「シャンプーがなくなりました」と当事者の方が言うと、
どこからとも現れた無表情の人(ヘルパーさん)が、シャンプーを手渡すこと。

その時、ヘルパーさんは、何も助言せず、無表情に言われた用事を済ますだけ。

いわば「黒子に徹する」態度です。むやみとニコニコしたり、話しかけたりしません。

A子さんは、まるで家に自分以外いないかのように、暮らしています。

実際は、ヘルパーさんは、一室(控えの部屋)に控えていて、A子さんから「洗剤がなくなりました。」などと、要請があると、部屋から出て、淡々と必要な事をしてあげます。

このマニュアルをしっかり守れるかどうかが決め手となります。

とかく、親切な気持ちでいっぱいのヘルパーさんは、
なんとかコミュニケーションを取ろうとして、
あれこれ、手伝ってあげたりしてしまうのですが、それは返って、当事者の方にとって、混乱の原因となるのだそうです。
ヘルパーさんは、余計なことをしない。あいまいなことをしない。
適当にやっておくことをしない。しっかり待機する。

などの訓練を受け、その後、ケアホームに派遣されます。
(通常3人位の方が交代で控えています)

ケアホームは4人の当事者の方に対して、支援員が一人。この人は、夜泊まったりします。
それ以外の日中は交代のヘルパーさんが対応します。

ヘルパーさんは毎日交代でも当事者の方は気にしません。
本来、人刺激に弱い自閉症の人たちなのに、
1週間で何人変わろうが平気だそうです。

きっと、必要に応じて差し伸べられるロボットの手のような役割をしているのだと思います。

親御さんにも、このビデオを見せると、唖然とするそうです。(そして、安心も)

施設内でも、私たちが説明を受けていても、全く気にせず、
淡々と食事をしたり、私たちの前を横切ったりする当事者さんが、穏やかで、不思議でした。

北海道 はるにれの里と地域医療視察(その1)

5月9日~11日は北海道「はるにれの里」と地域医療の視察に出かけました。
たくさん感度したので、まず「はるにれの里」について、3回に分けて報告します。

千葉県の新年度予算のひとつに「強度行動障害のある方への支援体制構築事業」新規企画がありました。

強度行動障害という、自傷や他害、激しいこだわりなど
様々な問題行動のある最重度の発達障害人の居住するケアホームを、
千葉でも創設しようとする事業です。

当初予算は、債務負担行為(とりあえず予算を確保する)で3400万円。
ケアホーム整備とお世話する生活支援員補助の経費です。

担当者に説明を聞いたときには、
強度行動障害の支援が必要な施設では、すでに多くの重度の障害者を抱えており、
これ以上の受け入れは困難。

だから新規事業でケアホームを創設し、
症状が改善した対象者が退所すれば、新たな受け入れが可能になる。

という説明でした。

しかしそれでは、定員があって待機者が多いから追い出して
次の人を入れるだけではないか?
放り出された人はどうなる?
との思いで、予算委員会で質問したわけです。

後で、伺ったところ、
このモデル事業は、
北海道「はるにれの里」で、多くの最重度の行動障害の方々が地域で暮らしておられる事例を見て、
ぜひ千葉でも!との思いで取り組むことにしたのだそうです。

そこで、今回の会派4人と船橋、市原の市議二人の総勢6人の視察を企画したわけです。

もう一つのテーマは、北海道の地域医療の実践例。これも興味深いテーマです。(その3で)

5月9日、空路で千歳空港 → 札幌 → 石狩の「はるにれの里」へ。

そのうち生活介護事業所「さりゅう」でお話を聞きました。
さりゅう全景

施設の概要の詳細は、「はるにれの里」ホームページから検索できるので、是非見てください。

最後に撮った写真ですが、訪問した面々と案内してくださった木村さん、中野さんとの写真です。
木村さんたちと全員集合

統括施設長の木村昭一さんと
生活介護事業所の生活館「さりゅう」「ゆらり」の課長(サービス管理責任者)である中野喜恵さんから、
お話をお聴きし、現場を見せていただきました。

ここでの事業の理念は

1)重度自閉症および重度知的障害をはじめとする発達障害児者に特化した多様な事業

2)いかなる重度障害であっても最終ゴールを地域での自立生活とし、それを支える

3)家族を支え、家族に支えられる事業

4)情報の公開、外部評価の導入、地域に開かれていること

昭和42年に父母の会10人でスタート。

当初は、障害者は「修学猶予」という名目で、
教育から除外されていた子供たちに教育の機会を、という運動から出発し、
「情緒障害児学級」の創設、
市立札幌病院静療院に専門の治療施設児童部をスタートさせました。

当時は、自閉症に対する教育・対応は混沌としており、
絶対的な需要、厳しい躾、など様々な教育手法で、
かえって利用者が混乱する場面が続いたそうです。

ようやく平成3年頃から
一貫した支援とチームワークが確立し、
今日につながりました。

社会福祉法人はるにれの里の理念は、
「いかなる重度障害であっても最終ゴールを地域での自立生活とし、それを支える」こと。

入所施設は、
「厚田はまなす園」と
自閉症者自立支援センター「ゆい」ですが、
終のすみかにするのでなく、
あくまで有期限、有目的で、3年をめどに地域のケアホームへ移行できるように支援していきます。

今や、石狩、札幌周辺だけで30箇所のケアホームを有し、
今後さらに年に2~3箇所その数を増やしたいという意向です。

男性の入所しているケアホームは、2軒を3人の地域支援員が支え、
そのほかに世話人(ヘルパーが平均3~4名のパートタイマー)でささえます。

女性が入所するケアホームの場合は、1軒を2人で支えます。
夜勤もあり、都合のつかない場合は、はるにれの里の職員が交代で入って支えています。

とても過酷な職場であり、さらに施設を増やすためにも、人材確保は急務。

人材確保には力をいれています。

通常は、福祉関係の施設の離職率は20%ということですが、ここでは6%にとどまっています。
また、今年も30名の新規採用があったそうです。

やりがいがあり、また、その成果が見える職場であること、たえず研修やコミュケーションが行われっていること、などが、職員の定着率の高さにつながっているようです。

保護者の中にはケアホームへ出されることに対して
「せっかく設立当初から一緒に頑張ってきたのに、うちの子を放り出すのか」
と強く反発していた保護者が、
落ち着いて、地域で一人暮らしをしている人たちを見て、
自分の子も一日も早く地域移行を、と待つようになったということです。

自閉症と言われる人たちの障害の特性は一様ではありません。

だからこそ、集団、大型の施設は合わない、あくまで個別に対応し、
その人の特性、興味関心・傾向を見極めて、個別にプログラムを組んでいく、
むしろ、人刺激が強いことがストレスにつながることが多いので、
1ホーム4人規模の今のケアホームの方が、
障害の特性にあっているのだそうです。

周囲で何が起こっているのか理解できない、
何を要求されているのかわからない、
いつ、その不安が除去されるのかわからない、
という混沌(カオス)が極限まで高くなると、
暴力的な自傷や他害やドアを叩いたり、奇声をあげたり、
ということにつながっていくのだそうです。

一次障害は、生まれつきの脳の機能障害ですが、

その後、その障害が理解されず、周囲が本人を苦しめることが積み重なると、

二次障害となって、さらに事態を重く、深刻にしていきます。

その二次障害を取り除き、
①人に求めて欲求が通るという体験を重ねること。
②いつまも待ったら要求が通るのか。
ということが、具体的に本人が納得できれば、不安は解消され、安心が心の安定につながるのだそうです。

どこまで待つのか、なぜ叱責されるのか、わからないときの本人の恐怖は、
一気に生きるか死ぬかというほど、大きなものになります。

理由もなく責められる感覚は、きっと私たちならば、
底の見えない穴や、終わりのない混沌の穴に突き落とされて、
どこからか叱責の声が響きわたってくる、というような感覚なのかもしれません。
(あくまで想像ですが)

では、具体的に、どんな対応をすれば、納得・理解してもらえて、
当人が落ち着いて行動することを支援出来るのか?

その取り組みは、とてもユニークで興味深いものでした。(その2へ続く)

奈良!に行ってきました

ゴールデンウイークの手帳の予定欄が、まっ白!4~6日まで!

家にいれば、きっとあれこれ仕事をしたり資料の整理をしたりで過ぎてしまう。
そうだ、出かけよう!

奈良だ、奈良へ行くぞ!と決めたのが、5月1日。
宿はビジネスホテル。(ゴールデンウィークのかきいれ時に残っているホテルだもん。温泉なんてぜいたくは言えません)

決め手は以下の2冊。
「神社の系譜」
    ~なぜそこにあるのか 
         宮元健次著(光文社新書)

神社の立地場所を春分、秋分、日没、日の出などから図示している本。
平城京、平安京、江戸の都市計画が風水に基づいている、というのはよく言われることだけど、
この本では、すべての有名な神社が、コンパス使って書くみたいに、盤上に論じられています。

もう一つは、
「神も仏も大好きな日本人」
   ~なぜ「無宗教です」と言いたがるのか?
               島田裕巳著(ちくま新書)
ダビンチ・コード みたいにおもしろい本です。

どちらの本にも登場するのが奈良の櫻井にある大神(おおみや)神社です。
有名なパワースポットでもあります。

そこをメインテーマとして今回の旅を企画しました。

3日は予定が入ったので、4~5日の一人ツアー。
本来は、「大人の休日倶楽部」代金で3割引で行けるかと思いきや、
5月6日までは、割引がきかず、満額で新幹線切符を買いました。

それで、急に欲深になり、あちこち行くことにしました。

室生寺の十一面観音様は、うわさ通りの美形でうっとり。
お寺もしっとりとしてお気に入りとなりました。

その日のうちに長谷寺へ。その後向かったホテルは、大和三山のど真ん中あたりにありました。

ラブリーな畝傍山、こじんまりした耳なし山、ちょっとわかりにくい香久山。

私は、万葉のロマンのただ中にたって・・・・うっとりと大感激。

しかし地元の人たちは、「それがどうした」という感じで、拍子抜け。生まれた時からそこに山があれば、そんなもんなのかもしれません。

翌日は念願の大神神社。三輪神社とりい
毎日大神神社に参拝しているとう年配の男性が、突然声をかけて下さって、案内してくださいました。
はじめは、ちょっと面倒かなとも思ったのですが、詳しい説明や、由来を聞くことができて、ラッキーでした。

ほんとに清浄な気が満ちている神社です。お薦めスポットです。

午後は、近鉄急行で奈良市へ。春日大社か興福寺を目指したのですが、ちょっと休みたくなり、ついうっかり乗ってしまった「ぐるっとバス」がなんと平城京遷都跡へ行くバス。ぐるっと回って帰ってこないんですか?と車中で聞いたら、ついた先で20分待っていただければ、ここへ帰るバスがあります、とのこと。

と言うわけで、だだっ広い平城京跡で降ろされました。

出迎えてくれたのは、かの有名なせんと君。
奈良のキャラ
キモかわいいとはよく言ったもんです。

ようやく奈良公園へ戻って、春日大社へ向かいます。
鹿に挨拶したり、たこ焼きを食べたり、けっこう幸せです。

境内へ入ると、鹿の口から水が出る手洗い場。
だらだらヨダレを流している鹿みたいで、そのヨダレで、手を洗うなんて、
これもキモかわいい類・・・?かもしれません。
春日大社しかさん
境内はわさわさしていたのですが、500円払って内に入ったら、ちょっと厳かで、さすがに春日大社です。

この赤いベンガラ回廊も、うっとりの光景です。
赤い回廊

休憩所はスッキリ清浄な空間。
若者と外人さんが、ぼーっと座っていました。
私も、並んで、ぼーっ。

ほとほと疲れて、近鉄奈良駅までたどり着いたら、お坊さんの銅像。

誰だろうと思って、そばによって名前を確かめようとしたら、いきなり噴水が、しゅわーっ!
行基噴水
お坊さんの正体は、行基さんでした。
(大仏作った最大貢献人物ですもんね)

とても疲れて、でも満足したゴールデンウイークでした。

そして、そして、5月5日には、北海道の泊原発が停止し、日本全国のすべての原発が止まりました!

翌6日も7日も、原発なくても日本の電力は、問題なく足りています。

5月7日は、市原の国分寺台と、千葉市の駅頭で、脱原発の署名と街宣を行いました。
皆さん、快く応じてくださり、嬉しかったです。

東海第二原発は原子力施設の総合デパート

4月25日総勢25人、平和への大結集の面々と市民ネットワークの5人で、千葉駅をマイクロバスで出発し、
東海第二原発および周辺施設の見学および、現地の人たちとの意見交換に出かけました。

現地に到着後は、東海村村議相沢一正さんに案内説明していただきました。

東海村は人口約3万8千人、面積37万㎢。

通常の原発は人里離れた場所に作られますが、
ここでは、街中に様々な施設が混在していることが特徴です。

日本原子力発電(株)東海原発第一、第二発電所、
(独)原子力研究開発機構東海研究開発センターが所管する
原子力科学研究所、核燃料サイクル高額研究所、
アトムワールド、
さらに那珂核融合研究所があり、
そこに隣接して三菱原子燃料が立地し・・・・

その他関連施設が林立し、原発関連施設の総合デパート状態です。

1999年にレベル4の臨界事故を起こしたウラン濃縮加工工場「JCO」もその一つ。
工場はヒマラヤ杉に隠れ、よく見えません。
ヒマヤラ杉影のJCO

事故現場からわずか120mの大泉さんの工場跡地も見学しました。
JCO事故現場から130mの工場
もう少し近づいて
 JCO事故被害近景

夫妻はJCOを相手に裁判を起こしたけれど敗訴。
失意のうちに夫昭一さんは亡くなられました。
日本中を震撼させた事故であったにもかかわらず、
健康被害を受けた地元は周辺に配慮して世論はさして盛り上がらず
抗議の声を投げられない状況だったそうです。

しかし、今回の震災以降、村民の意識は変わり、若い人たちを中心に脱原発の動きは大きな世論になりつつあります。
現場で説明する相沢村議会議員。
JCOで説明相沢村議

そして海辺で昼食のお弁当。ちょっと寒い。
原発を望む砂浜
遠くで霞んで見えるのは、東海第二原発。アップにしましたが、やっぱりかすんでいます。
かすむ東海原発
近くの草地で放射能測定。値は、以下のとおり。
砂浜線量計

1966年に誕生した日本初の東海第一原発は、平成10年に廃炉が決定。
解体埋設計画は思うように進まず、完了を平成29年から平成32年にまで延長しましたが、
低レベル放射性廃棄物を埋設するための地下保管施設もまだできていません。

まして、使用済み核燃料等の高レベル放射性廃棄物の処分先となると、
行き先はさらに決まっていません(日本中どこにもありません)。

一方、原電の第二原発はすでに34年が経過し老朽化しています。
先の震災でも津波により外部電源が失われ、
さらに頼りの非常用ディーゼル電源3台のうち1台の電源が壊れ、
主蒸気逃がし弁の開閉を170回以上も繰り返し、かろうじて冷温停止状態ができたのだそうです。

事故後の検証もなく報告もない状況で、再稼働はもっての他です。

また三菱原子燃料(㈱)では、原発の燃料棒を作って関西へ輸送しています。
このご時世に海外への輸出を含めて生産を倍増しているのだと聞いて耳を疑いました。

さらに村内では、ガラス固化等で処理できないでいる高濃度の放射性廃液が393㎥も貯蔵されたままとなっています。(六ヶ所村の245㎥より多い)

またまたさらに、人形峠で採掘されたウラン鉱の残土が、
東海村の原子力機構に持ち込まれ、レンガとなって全国へ出回っているのだそうです。
放射能の拡散がこんな形でも行われてきたことに、とことん、びっくり!

第二原発を見学した際に、施設担当者に「平和への大結集・千葉」として「再稼働させない、廃炉とすること」を訴える申し入れ書を朗読して渡しました。
申入書を渡す

写真はとってはいけないということで、そこで流されている映像の写真です。
高レベル廃棄物を入れて運ぶキャスクです。
キャスクの映像
こんなキャスクが、一般道路で運ばれているんです。知らぬが仏です。

場所を移して、地元の立派なコミュニティセンターで、現地の方々と話し合いの場を持ちました。
原発交付金で小学校の校区ごとに立派なコミュニティセンターが建っています。これもその一つ。
立派なコミュニティセンター
コミセンの前にけったいなオブジェがあり、ついそのそばで一枚写真をとりました。
カメラを向けられると、つい笑顔になる習性がある哀しい私です。
コミセンの前で笑う私

現地の方々との質疑・意見交換も有意義でした。震災以降、明らかに意識が変わりつつあることが、ここでも確認されました。
地元説明会

震災以降も、茨城県沖では地震が多発し、第二原発周辺に30キロ圏内には百万人もの人々が生活しています。

私たち千葉県も、茨城県の隣接県として東海第二原発再稼働阻止、廃炉に向けてさらに強く働きかけていくことを参加者一同確認しあいました。

木更津市議の田中さんが持ち込んだ放射能測定器で測ると、原発周辺草地の値は0.22μSv。

バスがその場を離れると値が歴然と下がります。

別の場所では、0.44の値も出ました。

とにかく、再稼働を阻止し、第二原発も廃炉に持ち込まねばなりません。
プロフィール

ichiharatomoko

Author:ichiharatomoko
     
1948年石川県生まれ
早稲田大学卒業
市原市議2期を経て千葉県議(2期目)
市民ネットワーク千葉県共同代表

子ども3人は独立し夫と2人暮らし、ネコ1匹
趣味は絵を描くこと、俳句、散歩、読書

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
QRコード
QR
検索フォーム
訪問ありがとう
RSSリンクの表示